出版界を混乱させる怖れのある「『出版物に関する権利(著作隣接権)』について」
去る9月19日に書協などで構成する出版広報センターによる「『出版物に関する権利(著作隣接権)』について」の出版社向け説明会があった。これは、「印刷文化・電子文化の基盤整備に関する勉強会」(座長中川正春、以下中川勉強会と略す)が6月25日に公表した「中間まとめ」を踏まえ、9月4日に出した「出版物に係る権利(仮称)の法制化について」という文書に基づき、この間の経緯と「出版物に関する権利」について中川勉強会が考えている基本見解を説明したものといえる。
流対協はこの勉強会に参加したいと申し入れたが、断られたので内部での議論がどのようになっているかは知らない。したがって、結論について責任はとれない。しかも「出版物に係る権利(仮称)の法制化について」という文書(以下、勉強会案)は問題があるらしく、本日時点まで公表されていないので、原文を見ていない。
今回の説明会でのポイントは、出版物原版、出版者の規定である。
まず出版物原版を「原稿その他の原品又はこれに相当する物若しくは電磁的記録を文書若しくは図画又はこれらに相当する電磁的記録として出版するために必要な形態に編集したもの」と定義している。そして出版者とは「出版物等原版を作成した者」となっている。
4月25日に勉強会が公表した「『(仮)出版物に係る権利』試案」では、出版物原版を「出版物を、複製又は送信可能な情報として固定したものをいう」、中間まとめの「固定により生じた版またはデータファイルを『出版物原版』とする」となっていたのに比べると、「情報として固定」がとれて「必要な形態に編集したもの」となって、なにか曖昧な規定となった。また出版者とは「出版物の製作に発意と責任を有し、出版物原版を最初に固定した者をいう」と規定していたものから「発意と責任」「最初に固定した者」が取れてしまった。
流対協は、昨年8月の文科省の「『電子書籍の流通と利用の円滑化に関する検討会議』への要望」で明らかにしたとおり、「出版物は、頒布の目的を持って出版者の発意と責任において、編集、校正、制作し、文書又は図画としての著作物を最初に版に固定し(いわゆる原版)、発行(発売)されたもので、媒体を問われない。」
「出版者とは頒布の目的を持って発意と責任において、文書又は図画としての著作物を最初に版(いわゆる原版)に固定し、発行(発売)した者」と定義した。
中川勉強会案と違うところは、著作物を印刷媒体ならびに電子媒体を問わず最初に原版に固定したものを「出版物原版」とし、その行為をした者を出版者としたことである。これは現在のDTPを軸にした出版実務に即したものであり、デジタル時代に対応するものである。それはまた、発意と責任において最初に出版した出版者を保護すべきという、現行著作権法の出版権の趣旨に添うものであった。
ところが勉強会案は、単に「文書若しくは図画又はこれらに相当する電磁的記録として出版するために必要な形態に編集したもの」と定義するだけで、出版者が他に先駆けて経済的リスクを引き受けることを含め「出版者の発意と責任」で「最初に固定」することの出版者としての根源的重要性を無視している。しかも、印刷媒体での出版と電子媒体でのオンライン配信を別個のものとしてバラバラにしている。これらはいったい何を意味するのか?
当日配布資料の「『出版物に関する権利』についての基本的Q&A」の8は次のようになっている。
「ある出版物の版面を新たに組み直した場合、元の出版物に関する本権利は新版面に及ぶのでしょうか?」という設問に対するAは「及びません」。理由は「本権利は著作隣接権であり、著作権ではありません。レコードについて、既存のレコードの音と同じ音を作り固定した場合と同様、本権利の効力は当該原版についてのみ、及ぶものと想定されています」となっている。
著作権法で複製の定義は「印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製すること」(著作権法第2条第1項第15号)となっていて、最高裁判例では「著作物の複製とは既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう」(作花文雄『詳解著作権法第4版』260頁)とある。「結果として同様の表現物を作成したとしても、既存の著作物に『依拠』していなければ、独自の著作物を創作したことになり、『複製』ではなく、また、『複製権』が及ばない」(同)という。
著作物を最初に固定して出版された出版物の版面を新たに組み直した場合、当該版面に依拠して再製したことになり、つまり複製に当たり、当該出版者の著作隣接権の複製権の侵害に当たると考えられる。この点を説明会で質問すると、このQ&Aの表現が微妙なことを認めつつ、著作権者からの許諾を下に当該著作物を新たに組み直せば、複製権の侵害にはならないとの趣旨の答があった。
新たに組み直したといっても、現実的には版面をスキャン(これは複製権侵害)し、校正して出版するわけだ。依拠して再製しているにすぎない。
この解釈は、文庫出版社が、われわれのような中小出版社の単行本を文庫化するのに都合の良い。しかし、新たに組み直せばいいということになると、四六版であろうがA5版であろうが、字詰め行数、書体を変えれば、否、全く同じでも良いということになる。著作権者が許諾すれば講談社版、小学館版、新潮社版、筑摩書房版などなど、同じ本が乱売されることも可能になる。著作権者は歓迎するとの解説だが、何のための出版者の権利なのだろうか? 出版契約書で独占契約にすればそのようなことは起きないとのことだが、それなら敢えて出版者の権利を法制化するまでもない。著作権法は、発意と責任において経済的リスクを負って最初に出版した出版者の権利を、海賊出版ばかりではなく競合出版から守るために制定されたのではないのか。
『出版ニュース』10月上旬号に、前文化庁次長の吉田大輔氏の「電子出版に対応した出版権の見直し案について」が掲載されている。 吉田氏は、中川勉強会案を批判的に検討し、出版権の電子出版への拡大の方が合理的と結論している。氏によれば、現行とほぼ同じ出版権制度は1934年に法制化されたが、「立法当時、無断出版や競合出版に対して先行出版者の利益をどのように確保するかという議論が高まっており、制度導入時の立法作業担当者も、その趣旨をどのような方法で実現するかについて様々な案を検討したようである」と指摘し、この観点から勉強会案を見ると「『出版物等原版』の同一性判断に関わるが、何をもって『独自の版やデータファイル』と解するかの判断は困難な場合がある。例えば、マンガ、イラスト、写真、美術などは、その性質上版面からは峻別が難しいと予想される」、「無断出版を行おうとする者が『独自の版やデータファイル』を作成した場合には著作隣接権は及ばず、主目的である海賊版対策の実行性が確保できないなどの反論が考えられる」という。勉強会案は、競合出版を促進し、海賊出版対策にもならないという結論である。吉田氏の拡大出版権の立場はとらないが、同感である。何でこんなことになってしまったのか?
勉強会案の問題点は、出版物として最初に固定した出版者の権利を守ろうというのではなく、出版者の権利を出版物に係る権利に置き換え、新たに組み直せば別の出版物原版となり、先行する出版物原版の権利が及ばないという理論構成をとったところにある。そこには電子出版の流通促進という名分を借りて、文庫化・電子化が簡単にできるという大手文庫出版社のエゴが垣間見える。しかしこれでは競合出版と海賊出版を野放しにして、出版物原版の真偽をめぐる裁判沙汰を蔓延させる可能性さえある。出版者の権利を著作隣接権として獲得する場合も、流対協案のように、最初に固定した出版者=原出版者(先行出版者)の利益を守り、有効な海賊版対策をすることは可能だ。ともあれ勉強会案では先行きが限りなく危うく怪しい。
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流対協の副会長などを歴任し、再販問題やISBN問題で活躍された高橋曻氏が去る8月9日に亡くなられた。月刊誌『技術と人間』で7年間お世話になり、いろいろと思い出がある。いま私が出版社をやっていられるのも高橋さんのおかげだ。ご冥福を祈りたい。
●高須次郎(緑風出版/流対協会長)
※『FAX新刊選』2012年10月・224号より
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