「時代の変わり目」「世代交代」のことなど……。
わが業界の長期低落傾向は止まることを知らない。“失われた10年”どころか、“失われる未来”になりそうな雲行きである。
戦後の右肩上がりの成長を支えたのは、経済復興の波を底流に人口の増加と教育の向上、そして文化を担おうと意欲に燃えた出版人の登場による出版社の創業であり、新企画の百花繚乱ともいうべき創出であった。
書店は、全国的に学校のある小さな村にもくまなくといっても良いほど開業され、雑誌はもとより単行本も並んで、都会の香りが届けられた。その流通を支えたのが取次店であり、とくに小零細出版社の出版物と零細書店の生業を可能にしたのが再販制度による定価販売であった。
戦前から続く老舗の版元と昭和20年代に創業した第一世代ともいうべき人たちは、団塊の世代の成長に合わせるかのように昭和30年代の高度経済成長の波に乗って業績を上げ、安定した経営と繁栄の時代を迎えた。その繁栄の中で多くの若者がこの業界に就職したのである。
流通は、鉄道から自動車へ。住宅の新築ラッシュに合わせるかのように企画された百科事典などの大型企画が書店の外商商品として、地方の書店を活性化し、消費社会を目前に雑誌は情報源としての役割を担って多様化、書籍も新世代の書き手を得て、読者層を拡大し、売上げはうなぎ登り。そして、それに対応するためのマス・セール向きの流通機構を作り上げた。
この大きな波を支えたのは、いうまでもなく昭和30年代末から40年代にこの業界に身を投じた若者たちであった。
取次店は多くの社員を抱え、版元も分野の拡大に伴って部署を広げ、第二世代ともいうべき人材が第一線を担うことになった。その一方で、新しい版元を立ち上げる新第一世代が登場したのである。
この背景には、価値観の多様化という“時代の変わり目”とバブル経済に向かう前のそれなりに安定した経済状態があった。今からほぼ40年ほど前である。
昭和20年代、文化の伝達者を目指して書店経営を始めた世代は、30年余を過ぎる50年代に世代交代期を迎えていたにもかかわらず、来たるべき時代に対応する明確な意図をもって世代を繋ぐということに躓いた。それは好景気という“上り坂”の陥穽であったかも知れない。
取次店は、自然増ともいえる売上げ増に加えて、管理部門の電算化(IT化への始まり)などによる合理化によって(それ自体悪いわけではない)、効率優先の経営に堕し(?)、書店や版元の実情と少しずつズレを生じたのではないだろうか。いわゆる悪名高いパターン配本という、合理性があって無いようなマス(マクロといっても良い)の世界に飲み込まれたのである。価値観の多様化、分散化の時代を見越した物流とシステムの形成という点で、見誤ったというのは言い過ぎか。
さて、版元は? 有り体に言えば、“勝てば官軍、負ければ賊軍”という状態である。というのは、いかなる状況においても、“勝てば”良いというのが一般論である。企業とすれば、売上げを上げ、勝ち残ることが至上命令である。たとえ“一将功なって、万骨枯れる”としても。だが、本当にそれでよいのか。それはあまりにも寂しい。
確かに、現在活動している版元は、生き残りである。しかし、“生き残りはすべて勝ち組”ではない。
生き残るために、時代の変化に対応すべく、様々な努力を重ねた結果である。しかしながら、何事にも寿命があるのだ。新しい時代、それが極めて困難なものであったとしても、それに対応する世代を繋ぐ方策を早く立てることが、未来を創る。
新第一世代も、すでに60~70歳を越えている。市場の縮小、電子書籍やニューメディアの時代に対応する第二世代へ、これまでに蓄積した様々なものを、どのように引き継ぐかが、現在の経営者に問われているのではなかろうか。
竹内淳夫(彩流社)●出版協副会長
戦後の右肩上がりの成長を支えたのは、経済復興の波を底流に人口の増加と教育の向上、そして文化を担おうと意欲に燃えた出版人の登場による出版社の創業であり、新企画の百花繚乱ともいうべき創出であった。
書店は、全国的に学校のある小さな村にもくまなくといっても良いほど開業され、雑誌はもとより単行本も並んで、都会の香りが届けられた。その流通を支えたのが取次店であり、とくに小零細出版社の出版物と零細書店の生業を可能にしたのが再販制度による定価販売であった。
戦前から続く老舗の版元と昭和20年代に創業した第一世代ともいうべき人たちは、団塊の世代の成長に合わせるかのように昭和30年代の高度経済成長の波に乗って業績を上げ、安定した経営と繁栄の時代を迎えた。その繁栄の中で多くの若者がこの業界に就職したのである。
流通は、鉄道から自動車へ。住宅の新築ラッシュに合わせるかのように企画された百科事典などの大型企画が書店の外商商品として、地方の書店を活性化し、消費社会を目前に雑誌は情報源としての役割を担って多様化、書籍も新世代の書き手を得て、読者層を拡大し、売上げはうなぎ登り。そして、それに対応するためのマス・セール向きの流通機構を作り上げた。
この大きな波を支えたのは、いうまでもなく昭和30年代末から40年代にこの業界に身を投じた若者たちであった。
取次店は多くの社員を抱え、版元も分野の拡大に伴って部署を広げ、第二世代ともいうべき人材が第一線を担うことになった。その一方で、新しい版元を立ち上げる新第一世代が登場したのである。
この背景には、価値観の多様化という“時代の変わり目”とバブル経済に向かう前のそれなりに安定した経済状態があった。今からほぼ40年ほど前である。
昭和20年代、文化の伝達者を目指して書店経営を始めた世代は、30年余を過ぎる50年代に世代交代期を迎えていたにもかかわらず、来たるべき時代に対応する明確な意図をもって世代を繋ぐということに躓いた。それは好景気という“上り坂”の陥穽であったかも知れない。
取次店は、自然増ともいえる売上げ増に加えて、管理部門の電算化(IT化への始まり)などによる合理化によって(それ自体悪いわけではない)、効率優先の経営に堕し(?)、書店や版元の実情と少しずつズレを生じたのではないだろうか。いわゆる悪名高いパターン配本という、合理性があって無いようなマス(マクロといっても良い)の世界に飲み込まれたのである。価値観の多様化、分散化の時代を見越した物流とシステムの形成という点で、見誤ったというのは言い過ぎか。
さて、版元は? 有り体に言えば、“勝てば官軍、負ければ賊軍”という状態である。というのは、いかなる状況においても、“勝てば”良いというのが一般論である。企業とすれば、売上げを上げ、勝ち残ることが至上命令である。たとえ“一将功なって、万骨枯れる”としても。だが、本当にそれでよいのか。それはあまりにも寂しい。
確かに、現在活動している版元は、生き残りである。しかし、“生き残りはすべて勝ち組”ではない。
生き残るために、時代の変化に対応すべく、様々な努力を重ねた結果である。しかしながら、何事にも寿命があるのだ。新しい時代、それが極めて困難なものであったとしても、それに対応する世代を繋ぐ方策を早く立てることが、未来を創る。
新第一世代も、すでに60~70歳を越えている。市場の縮小、電子書籍やニューメディアの時代に対応する第二世代へ、これまでに蓄積した様々なものを、どのように引き継ぐかが、現在の経営者に問われているのではなかろうか。
竹内淳夫(彩流社)●出版協副会長
出版協 『新刊選』
2013年2月号 第4号(通巻228号)より