版面領有権問題
わが社では、20年以上の時間をかけて『山東京傳(さんとうきょうでん)全集』全20巻を絶賛刊行中である。
この号が発売になる頃には、前回配本から3年半振りとなる第13回配本・第18巻〈洒落本〉が無事刊行され、ご予約いただいている方のお手許には届き、極僅かの奇特な書店の店頭でお手に取ることもできるようになっているはずである。
「時間かけ過ぎだよ、こっちの寿命がもたないよ」とお叱りを受けることもあるが、何しろ、頑張ってる途中なので、ご寛恕いただければ幸である。
さて、全集。京傳作の黄表紙なんぞを翻刻しようというのだから(私が作業しているわけではないが)さあ大変(だろう)。
まず、絵と同じ版面に含まれる、面積にして約4分の1から3分の1の文字を抜き出して「活字化」しなければならないが、私の能力の範囲内では、ほぼ判読不能のかな文字に漢字。角書はもちろん、読みがなが(現代でいえばルビ?)左右両方についていたりするものもある上、古今東西そんな読み方した奴はいないだろうという振りがなを振ってあったりするのである。
さすがに日本語組版に配慮したDTPソフトでも難敵であろうと推察するが、はてさて、こういった見開きの版面を前提に表現されている書籍を、現今言われているところの電子書籍にできるのであろうかなどと思うのである。
電子書籍には大きく分けて、版面がそのまま電子化され拡大縮小対応のフィックス型と端末の大きさにあわせて字詰め行詰めを自動的に行うことのできるリフロー型に分けられるという。今後のことも考え、さまざまな端末に対応するには、多くの場合、リフロー型が本命ということであろうが、版面全体で構成されることを前提とした出版物を電子媒体へ移すには向かない形式であろう。
これは、黄表紙などの江戸期の出版物に限ったことではなく、現代における一大勢力として、(お察しの通り)まんがが該当するであろう。まんがは、柱やノンブルなどを除いて版面の大部分を作家が原稿時点で仕上げる点が似ているといえる。
小説などのいわゆる文字モノは、通常、作家が仕上がりの版面を想定して原稿を書かない。最初に発表する媒体によって字詰め行詰め書体などが決まっている場合がほとんどだからだ。単行本に収録する際にも、希望は述べることができても最終的には編集側の判断になってしまう。つまり版面を確定するのは版元である。
一方まんがは、発表媒体によって規定はあるものの、その規定に沿って線を描き、最終的に版面を確定するのは、作家側である。仕上がってきた原稿に編集側が介入できるのは、ネーム部分をどんな書体にするかという程度である。もちろんまんがを構成する大きな要素の一つである書き文字部分には、確定原稿に通常、介入の余地はない。
何でもデジタル化時代になって電子海賊版の横行を前に「著作隣接権」を持ち出した版元側に対して、作家側が強い抵抗を示しているのは「版面を確定しているのは我々だ、おまえらじゃねぇ」という思いが伏在しているのではないだろうか。
そうだすると、事は版面の“線引き”を誰がしているのかという「版面領有権」の問題になりそうである。
ただ、私としては立場上、確定するのを「棚上げ」しておいて、暫定的であれ、話し合いで円満な解決方法を模索し続けるという、平和なかたちを望むのである。
廣嶋武人(出版協理事・流通情報委員会委員長/ぺりかん社)
『出版ニュース』 201301月上中旬号より
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