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2013年3月 1日 (金)

いま出版屋とは何なのか

そもそも書き手としての自分にとっとと見切りをつけて、出版屋になったので、こうして原稿を書くのも気がすすまないのですが、順番にということなので……。

小社も、一九九〇年に最初の本を刊行してから、はや四半世紀がたとうとしています。その前にお世話になったP社に入った当初は、まだ、活版印刷でした。同時に活版清刷りオフセット印刷、表組みなどはもちろん手打ちの写植(校正で直しが入ると写植屋さんににらまれました)、すぐに電算写植へ。そして、自社本を刊行しはじめて、数年で、DTPへ。さらに、フィルム出力が出来るようになり、同時に、版下からダイレクト印刷というのも出来るように、そして、CTP印刷へと(オンデマンド印刷もありますが)。制作方法が五年単位ぐらいで、目まぐるしく代わってきました。コンピュータの進化とともに、ということなのでしょうが、紙の本、という形態には変化はありませんでした。

ここにきて、手にとって頁をめくりながら本を読む、という体にしみついた行為とは異なる読書形態が生まれてきました。もちろん、パソコンが普及し、画面上でものを読むことが日常的な行為となってはいたものの、読書とは別物と思っていました。おかしなもので、自分でDTPで、ようは画面上で本をつくっていながら、そうはいっても、読書という行為には結びついていなかった、また今もどうも結びついていないようです。この原稿も、もちろんパソコンにむかい、画面上の文字を追いながら書いているわけですが、雑誌にのったときの形を、頭の隅におきながら書いているように思えます。青空文庫など幾つか「読んで」はみましたが、どうも、書類を「読んで」いるような感覚から逃れられず、落ち着かなくて、すぐに疲れてしまいます。もちろん、人それぞれです。若い方々は、より画面で読むことに違和感が少なさそうです。とはいえ、いまでも小学校から、教科書は紙の本だと思うのですが。

そうとう前のことですが、とある機会に編集についてお話をすることがありました。そのとき、「出版社、編集者は、本を出すのをじゃまするのが仕事だ」と言った記憶があります。当時は、取次口座を持っている出版社でなければ、どんな素晴らしい、ひょとしたら画期的な原稿であっても、編集者が理解できず、「こんなんダメ」となれば、「本」にはならなかったわけです。とはいえ、ある水準以上の「本」を読者に提供しているという信頼(幻想?)があったわけです(いまでも、もちろん、ないわけではありません)。この版元の「本」だから、という感じでしょうか(無名の新人だったとしても)。ところが現在は、とりわけ電子書籍(オンデマンド印刷本も)の場合は、極端には誰でも個人で、制作から販売まで可能になりました。「じゃまするもの」がいなくなったわけです。インターネットの世界同様というか、その世界が生まれてこそ、「なんでもあり」となり、「出版社は基本的には不要」となったわけです。

さて、では、「いま出版屋とはなんなのか」、と考える間もなく日々を乗り越えていくのに精一杯の状況です。無事、次代に引き継ぐことができたら、考えてみたいと思います。

石田俊二(出版協理事/三元社

出版ニュース 201212月中旬号より



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