“老衰”状態からの出口はあるのか?
先日発表された出版科学研究所によると、2015年の書籍・雑誌販売額は1兆5220億円、前年比5.3%減、減少幅は過去最大。書籍の販売額は7419億円、同1.7%減、販売部数は6億2633万冊、同2.8%減、返品率は37.2%、同0.4ポイント減。雑誌の販売額は7801億円、同8.4%減、販売部数は14億7812万冊、同10.5%減、返品率は41.8%、同1.8ポイント増。雑誌のうち月刊誌は販売額が6346億円、同7.2%減、販売部数が10億5048万冊、同8.7%減、返品率が42.6%、同11.8ポイント増。週刊誌の販売額は1454億円、同13.6%減、販売部数は4億2764万冊、同14.6%減、返品率は38.1%、同1.6ポイント増だという(文化通信速報)。
この数字を見る限り、わが業界は"瀕死の重傷"というより"老衰"状態と表現すべき状況にある。1996年をピークに右肩下がりの傾向が加速度的に深化しているのである。特に雑誌と書籍の売上げがほぼ半々ということは、雑誌を基幹として形成されてきた戦後の出版流通システムの崩壊の可能性を示唆するものである。それは、毎日のように定期的に刊行される雑誌の全国配送システムが地方の小さな書店を支えたのであり、注文による書籍を届ける役割を担ってきたからである。
一方、言われて久しい地方の過疎化や高齢化という人口動態と電子化による配信というシステムが市場の変化をもたらしたのは確かであり、その傾向市場の自然縮小はある意味で想定内のことである。
問題は、雑誌の落ち込みが止まらないとすると、いまのままでは流通システムやコストの負荷が増すことは必然であって、小規模な末端書店への商品供給が困難、あるいは遅滞状態が加速する。そして、いまでも一日一店で減り続けると言われる書店の数が一挙に激減することだろう。かつて"無医村"という言葉があったが、"無書店"村や町、市が全国に出現するだろう。
リアル書店の利点は言うまでもなく、現物を手にとって見せることである。そして本に接する機会を与え、選ばせることによって、子どもを含めた未知の読者を知らないうちに創ることである。そのリアル書店の存続の危機が目の前にある。
雑誌の危機は、販売部数の減少だけでなく広告収入の減少を伴うもので、版元を直撃し、合わせて返品率の上昇は流通コストを押し上げている。雑誌に関わったことのない筆者にはその処方箋は分からない。ただ言えることは、価値観と情報の多様化が更に進む現状を考えれば、数十万部という部数を誇るものはほんの一握りになるのではないだろうか。部数でいえば、"雑誌の単行本化"である。それで版元が成り立つかどうかは別として。
であるならば、流通(取次)はいかにあるべきか。問われて久しい問題が喫緊の課題になったというべきであろう。大阪屋、太洋社の物流の一部が統合される。これに異議を述べる立場にはないが、これも明確な展望の上で統合するのか、現状の単なる経費節減の方法としてのものなのかで、その意味合いは異なってくるだろう。長期的にはさらに他品種、少部数に対応する物流システムの構築が求められる。
さて、版元であるが、これだけの売上げ減にもかかわらず、小零細版元がどうにか延命しているのは、高齢化したとはいえ創業者世代の意地と自社におけるDTPの導入などによる組版コストの削減(編集者の二役)によって、採算ラインを下げて再生産構造を維持しているのが現状である。また多くのデッドストックを抱える版元は、その処理に頭を悩ましている。読者サービスという名目の"安売り"も業界全体ではカンフル剤にもならず、むしろ再販制度の堤防を崩す蟻の一穴になろうとしている。
前にも書いたが、書店の粗利が少なすぎて経営が出来ないのであれば、公取が何を言おうが、書店・取次・版元が大ぴらに談合して、正味の値下げ、適正マージンを確定して、業界全体の再生産構造の維持が必要な事態に直面しているのではないか。
新しい版元の参入が可能な条件の整備に合わせて、若い書き手や作り手を積極的に受け入れる体制を如何に創れるかが、業界の活性化と発展の鍵になるだろう。
読者の味方という錦の御旗で、書店や取次を追い込み、出版文化の果実を食い尽くして再生産構造には配慮しないアマゾンの一人勝ちを許してはならない。
竹内淳夫(彩流社 )●出版協副会長
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