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2016年12月

2016年12月27日 (火)

出版協『新刊選』2017年1月号 第51号(通巻275号)

1P…「世界一美しい本を作る男GS」に触発され考えた二、三の事柄

 
河野和徳彩流社 )●出版協理事
2P……出版協BOOKS/1月に出る本 
3P……出版協BOOKS/1月に出る本(2Pの続き)

「世界一美しい本を作る男GS」に触発され考えた 二、三の事柄

先日、池袋演芸場のまえでばったり梅原圓朝氏に会った。なんでも古書店組合の寄り合いがあったらしく、酔い醒ましに歩いて帰宅する途中という。この圓朝氏は氷川町(板橋)で古書店を営んでおり、近くに住んでいるわたしは店にお邪魔しては(焼酎の御相伴にあずかり)、「本」にまつわるよしなしごとを拝聴するのであった。
 
「しばらくでしたねぇ。ところで、東京藝術大学美術館・陳列館で、《世界一美しい本を作る男》として世に知られたゲルハルト・シュタイデルさんが差配する《Robert Frank: Books and Films, 1947-2016 in Tokyo》という展覧会(2016年11月11日~11月24日)が開かれていますが、ご覧になられましたか。この展覧会、学生が什器の製作から広報・宣伝まで裏方として働いていて観覧料が無料なんです。あなたも多忙でしょうが行ってみるといいですよ」
 
「ええ、ロバート・フランクのファンの友人からはその情報を聞いていたのですが、行こうと思いつつもなかなか時間がなくてまだなんです。シュタイデル氏の仕事は出版者たちに多くの示唆や刺激を与えてきたはずです。ドイツの地方都市、ゲッティンゲンに彼の会社がありますが、多くの作家やアーティストに支持され、世界中を飛びまわるシュタイデル氏です。ことに今回の展覧会では彼のその智慧を盗みたいものですね。また私的なことですが、わが故郷である紀州の熊野新聞社が協賛していて、大判の刷り物を印刷したようですね。シュタイデル氏も南紀・新宮にまで出張(校正)したとのこと。さらに藝大教授で新宮市出身の写真家・鈴木理策氏のトークイベントもあるようで楽しみです」
 
1968年、シュタイデル氏は18歳のとき会社を設立。当初は版画やポスター、のちにアート系書籍や文芸書なども手がけるようになった。多くの写真家やアーティスト、作家、美術館等を顧客に持ち、企画の打ち合わせには数年も待たねばならないほど多忙を極める。シュタイデル社は出版社とはいえ、本の製作(企画、組版・デザイン、印刷・製本)のすべてを自社で行い、版元と印刷会社と製本所が一緒になったような会社なのだ。
著者とは必ず会って打ち合わせをするシュタイデル氏は、紙の見本帖や束見本などを持参して、紙やインキを選び、本づくりについて提案をする。電話やメールで用を済ませることはない。その仕事ぶりは「職人」だ。作家から信頼を寄せられるのも当然といえる。

「今回の展覧会では、写真集『アメリカンズ』で成功をおさめたロバート・フランクが、写真から映画の製作に興味を移してフィクション(芝居)とドキュメンタリーのあいだに位置するような映像作品(それらは商業的成功を望んだものではない)を展示しています。とはいえ、写真であれ映画であれ、彼の作品を決定づける媒体(メディア)は結局、《ブック》なのです。会場入り口の天井からぶら下げられた多くの本とともに、製版や印刷、製本について細かく指示が書かれたゲラ刷りもたくさん展示されていました」と圓朝氏は話す。
 
これまではプリント(紙焼)の取り扱いの難しさもあって、なかなか展覧会が実現しなかったというフランクの作品だが、映像メディアに大きな影響を与えてきたフランクが、この展覧会では、新聞紙への印刷、そして終了とともにそれらを破棄することを了承したというのだ。それはまさに画期的な「できごと」である。
「展覧会用チラシには《シュタイデル氏への質問》が掲載されています。『良い本を作る条件があれば教えてください』という質問に対し、『良い作品+良いアイディア+良い紙+良い印刷+良い香り+良い装丁=良い本』と彼は述べていますが、この『良い』という語の意味はじつに多義的(アンビギュアス)で拳拳服膺すべきところではないでしょうか」と圓朝氏。
 
「おっしゃるように、この『良い』という形容詞が鍵語ですね。わたしも『良い』本づくりの要諦を考えるヒントのために、[出版協のイベントで]ブックデザイナーの鈴木一誌氏や祖父江慎氏、そして桂川潤氏(2017年2月実施予定)を講師に招きレクチャーを開きました。《tenor》(中身)と《vehicle》(器)について、また《noise》(余白等)について考えるなど、本の《物質性》へのこだわりを講師たちから学ぶという意図でした」
 
シュタイデル氏が作るのは、世界一「売れる」本ではなく世界一「美しい」本である。紙の質感(風合い、紙厚)、インキの匂い等、モノとしての本への愛、本づくりへの情熱、それらがベースにあって「出版」が具体化する。とはいえ、さまざまな「コスト」が生じる出版では、「利(益)」を生まねばならない。しかし、「それ」のみを追求すれば、おそらく想像できないような恐るべき陥穽が待ち受けている(だろう)。
 
河野和徳彩流社 )●出版協理事
出版協 『新刊選』2017年1月号 第51号(通巻275号)より
 

2016年12月13日 (火)

七つ森書館への不当判決に再度抗議する

日本出版者協議会加盟の出版社である七つ森書館が20125月に刊行した再刊本をめぐり、同年10月、これを「著作権侵害」だとして読売新聞東京本社が同社を訴えた訴訟で、東京地裁が読売勝訴の不当判決を下したことについては、当会の2014930日付声明「七つ森書館への不当判決に抗議する」に述べたとおりである。

 

その後、これを不服として七つ森側が控訴、上告したにもかかわらず、本年6月、最高裁はこれを棄却、七つ森書館は203万余円の賠償金支払いを余儀なくされた。
裁判の最大の争点は、20115月に両社が取り交わした出版契約書が有効かどうかにあった。読売側は、「社を代表する権限を有していなかった」社会部次長が署名・捺印した出版契約は無効であると主張し、七つ森側は、「読売本社が、H次長を代理人として本件出版契約を締結し、著者名を『読売社会部清武班』とする本再刊本の出版を承諾していたことは、まぎれもない事実である」と応じたのだが、司法は読売側のおかしな主張を全面的に認めてしまった格好である。

 

しかし、裁判の過程でこの元次長が、「私が独断でやった」「七つ森にうそをついた」と証言した(泥をかぶった)ことから、先の訴訟の地裁・高裁判決は、「無権限であるにもかかわらずそれを秘して締結手続を進めた」元次長の責任を指摘し、高裁判決では読売新聞社の「使用者責任」にも言及していた。

こうした経緯を経て、20156月、七つ森側が元次長とその使用者の読売新聞社に対し、2000万円の賠償責任を求めて提訴したのが、今回の裁判だった。

しかるに今回2016125日の東京地裁判決は、「七つ森側が読売側の指摘を受けた後、販売を強行して生じた損害は、読売社員の行為とは関係ない」などとして、七つ森側の請求を棄却したのである。

 

判決は、「契約」というものに対する市民感覚から大きく逸脱しているばかりでなく、小零細出版に対する大手メディアの出版妨害をまたしても追認したものであり、「不当判決」と言わざるをえない。

 

出版社82社で構成する日本出版者協議会は、きわめて不公正な今回の判決に強く抗議するものである。

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