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2018年7月 2日 (月)

「教育機会確保法」を考える

一昨年の12月「教育機会確保法」(正式には「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の確保等に関する法律」という)が成立した。

主な内容のひとつは、不登校や在日外国人に対して夜間中学という学びの場の設置を謳ったことである。全国の都道府県で最低1校以上の設置を述べている。夜間中学は正式には「中学校夜間学級」という。現在は8都府県で31校が運営され2,000人弱が学んでいる。78割が在日外国人である。これは公立の学校であるが、これとは別に自主夜間中学が運営されており、約7,000人が学んでいる。夜間中学は戦後に開設される。戦争の傷跡からの復興の戦力のために学校に行けない生徒のために、または繁忙期の仕事の手伝いで学校に行けない人のために運営された時代もある。その後は、在日韓国・朝鮮人や被差別部落の人たちなどの学びの場として夜間中学が獲得されていく。

現在、不登校の児童生徒は10万人以上いる。中学校に限ると約3%の生徒が該当するということである。義務教育未終了者は百数十万にのぼるとされている。この法律はそういう意味では、憲法が保証する教育を受ける権利に対してその端緒を示したものということができるかもしれない。不登校のまま卒業をした「形式卒業者」に対して、以前は卒業を理由に認めていなかった再入学、いわゆる学びなおしを認めている。これは在日外国人にも適用される。また、不登校生徒は夜間中学への転校もできる。フリースクールについてはこの法律でその存在を認めた。そのほか、日本語教育が必要な場合の措置、必要と認められる臨機応変なカリキュラムの作成などを謳っている。

不登校は、児童生徒のいじめや教師の指導という名の暴力に耐えられないときなど、どうしても学校に行けない状況に追い込まれることが多い。または学校自体に馴染めない、きらいというときにも不登校は起きる。従来は、学校に「行けない・行かない」子をいかに行かせるかという問題設定で考えることが基準であった。しかし、この法律ではこのような「不登校児童生徒の休養の必要性」を述べ、学校に行かない権利を認めている。いままでも我慢や無理をしてまで学校へ行かなくてもよいという考えや提言、行動はあったが、このような考えに法的な根拠ができたカタチである。

文字・教育を取り戻す、または獲得する運動はいろいろと取り組まれている。弊社の関係でいえば、被差別部落では1950年代から識字運動・識字教室が生きていく力を取り戻す運動として取り組まれている。差別や貧困により教育の機会を奪われたなかで、文字を取り戻す運動である。現在、日本語獲得や夜間中学との連携を含め、各地で識字運動・識字教室はいろいろな方たちの協力を得ながら活動をしている。高齢者が多いなかで、2010年の調査では30%が30代までである。

国際的には国連の取り組みが知られている。1990年は国際識字年、この当時の非識字人口は文字をもたない文化をふくめ世界人口の6分の1ということである。2003年から2012年は、「国連識字の10年」として、各国それぞれに応じた子どもをふくめた識字活動が展開された。2015年には「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で、識字の具体的な目標が掲げられている。

「教育機会確保法」は議員立法である。全国各地の不登校で教育の機会を失ってしまった関係者たちの教育の機会獲得の願いやそうした運動が、やはり在日外国人たちの生きていくために必要な文字などの獲得の願いや運動が、議員たちを動かした面が多いと推察する。また、2016年には「誰もが基礎的な教育を保証される社会の実現をめざして夜間中学、識字学級、地域日本語教室、障害者教育、生活困窮者支援など広い領域を視野に入れた」基礎教育保障学会が設立された。これらの動きはふだんあまり表には出にくい、発言力の弱い人たちの努力の結晶と言ってもよいのではなかろうか。

私たちにとって憲法が保障する必要な教育を受ける権利は、やはり憲法がいうところの不断の努力によってこの権利を保持しなければならないと思う。「教育機会」や基礎教育確保の運動はまさに足が地についた取り組みであり、これらの運動は出版文化との関連でも相互に作用して互いの進展につながるものと思う。

出版協理事 髙野政司(解放出版社

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