出版ニュース●コラム出版協

2013年3月 1日 (金)

版面領有権問題

わが社では、20年以上の時間をかけて『山東京傳(さんとうきょうでん)全集』全20巻を絶賛刊行中である。

この号が発売になる頃には、前回配本から3年半振りとなる第13回配本・第18巻〈洒落本〉が無事刊行され、ご予約いただいている方のお手許には届き、極僅かの奇特な書店の店頭でお手に取ることもできるようになっているはずである。

「時間かけ過ぎだよ、こっちの寿命がもたないよ」とお叱りを受けることもあるが、何しろ、頑張ってる途中なので、ご寛恕いただければ幸である。

さて、全集。京傳作の黄表紙なんぞを翻刻しようというのだから(私が作業しているわけではないが)さあ大変(だろう)。

まず、絵と同じ版面に含まれる、面積にして約4分の1から3分の1の文字を抜き出して「活字化」しなければならないが、私の能力の範囲内では、ほぼ判読不能のかな文字に漢字。角書はもちろん、読みがなが(現代でいえばルビ?)左右両方についていたりするものもある上、古今東西そんな読み方した奴はいないだろうという振りがなを振ってあったりするのである。

さすがに日本語組版に配慮したDTPソフトでも難敵であろうと推察するが、はてさて、こういった見開きの版面を前提に表現されている書籍を、現今言われているところの電子書籍にできるのであろうかなどと思うのである。

電子書籍には大きく分けて、版面がそのまま電子化され拡大縮小対応のフィックス型と端末の大きさにあわせて字詰め行詰めを自動的に行うことのできるリフロー型に分けられるという。今後のことも考え、さまざまな端末に対応するには、多くの場合、リフロー型が本命ということであろうが、版面全体で構成されることを前提とした出版物を電子媒体へ移すには向かない形式であろう。

これは、黄表紙などの江戸期の出版物に限ったことではなく、現代における一大勢力として、(お察しの通り)まんがが該当するであろう。まんがは、柱やノンブルなどを除いて版面の大部分を作家が原稿時点で仕上げる点が似ているといえる。

小説などのいわゆる文字モノは、通常、作家が仕上がりの版面を想定して原稿を書かない。最初に発表する媒体によって字詰め行詰め書体などが決まっている場合がほとんどだからだ。単行本に収録する際にも、希望は述べることができても最終的には編集側の判断になってしまう。つまり版面を確定するのは版元である。

一方まんがは、発表媒体によって規定はあるものの、その規定に沿って線を描き、最終的に版面を確定するのは、作家側である。仕上がってきた原稿に編集側が介入できるのは、ネーム部分をどんな書体にするかという程度である。もちろんまんがを構成する大きな要素の一つである書き文字部分には、確定原稿に通常、介入の余地はない。

何でもデジタル化時代になって電子海賊版の横行を前に「著作隣接権」を持ち出した版元側に対して、作家側が強い抵抗を示しているのは「版面を確定しているのは我々だ、おまえらじゃねぇ」という思いが伏在しているのではないだろうか。

そうだすると、事は版面の“線引き”を誰がしているのかという「版面領有権」の問題になりそうである。


ただ、私としては立場上、確定するのを「棚上げ」しておいて、暫定的であれ、話し合いで円満な解決方法を模索し続けるという、平和なかたちを望むのである。

廣嶋武人(出版協理事・流通情報委員会委員長/ぺりかん社

出版ニュース201301月上中旬号より

零細出版人、お白洲に 座す

出版流通対策協議会(流対協)はこのほど法人化し、その名を「一般社団法人日本出版者協議会(出版協)」と改めた。

さて、今回の話題は、そんなおめでたい席にはあまりふさわしくないとは思うのだが、同業の読者諸兄姉の身にもいつ降りかかるか知れぬ災厄とも思えるので、恥を忍んで紹介させていただく

この2月、淡路島の簡易裁判所から突然、「期日呼出状」なる仰々しい書面が届いた。貴殿は損害賠償請求事件で提訴されたので、「×月×日に〔当洲本簡裁へ〕出頭してください」というのである。


原告は、エキゾチックアニマルなる希少動物の繁殖・販売業者。小社が10年も前に出版したペット虐待批判の本に原告ホームページからの無断使用箇所がある、というのがその訴因。

実はこのブリーダー、3年も前から「訴えるぞ、訴えるぞ!」と小社に再三、電話を寄越していたのだが、一向に訴訟行動を起こす気配がなかった。ところが3・11の福島原発事故で、当人が南相馬市から淡路島へ避難を余儀なくされたのを機に、その挙に出たのだった。

提訴直前にもわざわざ電話を寄越し、「淡路の裁判所に提訴する。裁判になれば費用もかかる」などと言う。相手の底意が透けて見えたかのようだった。

それになにより、本の絶版まで求めているのが受け入れがたい。というのも、希少動物の国際的取引を禁ずるワシントン条約の精神を重んじ、国内での取引にも批判的な1つの言論が、まさにその販売業者の手で抹殺されようとする構図を思い浮かべたからだ。その場ですぐ、訴訟を受けて立つ決意をした。

とはいえ悲しい哉、零細出版人には遠方での裁判に代理人を立てる余裕はまるでない。おまけに著者の所在も不明だから、ここは一手に引き受けるしかない。さっそく『判例六法』を入手し、本人訴訟のための猛勉を開始、A4判15枚の答弁書(訴状への反論)をしたためた。

目下進行中の裁判に差し障りのないかぎりで、そこでの論点をいくつか摘出すると──

1)原告が著作権侵害を主張する部分はいずれも、「パンダは竹を食う」の類の動物の習性や飼育法に関する短文で、自然科学上の「事実」そのものである。それらは、著作権法に言う「創作的表現」には程遠く、同法の保護の対象とはなりえない。これを特定の者の占有に帰しては、文化や学問の発展を阻害してしまう。

2)原告は「原告が本来得るべき利益を被告が不当な手段によって得た」と主張するが、原告HPにおいて「本来得るべき利益」とは何なのか、不明。

3)原告は、総額64万円也の損害賠償請求の根拠は、本の定価×推定販売部数×0.33で、0.33とは、書籍の一般的な利益率だと言う。ネットのQ&Aサイトから引いたそうだ。

だが、本誌読者諸兄姉にはもう明らかなように、本の利益率は、出版社の取引条件、さらには出版物によって個々異なるわけで、「一般的な数字」などないも同然である。仮に33%の利益率を見込んでいたところで、製作部数がすべて捌けなければ、それは絵に描いた餅。恥ずかしながら件の書籍は、10年間1回の増刷もなかったばかりか、断裁処分してもなお、400部からの在庫を抱える体たらく。「利益」なぞ出るべくもない。

3回の口頭弁論と4回の準備書面のやり取りを経て、遠からず判決が出ることになっている。「裁判は水物」とも聞く。ともあれ、それが明らかになったところで、詳しい続報をお伝えできれば、と考えている。

田悟恒雄(出版協理事/リベルタ出版

出版ニュース201211月中旬号より


いま出版屋とは何なのか

そもそも書き手としての自分にとっとと見切りをつけて、出版屋になったので、こうして原稿を書くのも気がすすまないのですが、順番にということなので……。

小社も、一九九〇年に最初の本を刊行してから、はや四半世紀がたとうとしています。その前にお世話になったP社に入った当初は、まだ、活版印刷でした。同時に活版清刷りオフセット印刷、表組みなどはもちろん手打ちの写植(校正で直しが入ると写植屋さんににらまれました)、すぐに電算写植へ。そして、自社本を刊行しはじめて、数年で、DTPへ。さらに、フィルム出力が出来るようになり、同時に、版下からダイレクト印刷というのも出来るように、そして、CTP印刷へと(オンデマンド印刷もありますが)。制作方法が五年単位ぐらいで、目まぐるしく代わってきました。コンピュータの進化とともに、ということなのでしょうが、紙の本、という形態には変化はありませんでした。

ここにきて、手にとって頁をめくりながら本を読む、という体にしみついた行為とは異なる読書形態が生まれてきました。もちろん、パソコンが普及し、画面上でものを読むことが日常的な行為となってはいたものの、読書とは別物と思っていました。おかしなもので、自分でDTPで、ようは画面上で本をつくっていながら、そうはいっても、読書という行為には結びついていなかった、また今もどうも結びついていないようです。この原稿も、もちろんパソコンにむかい、画面上の文字を追いながら書いているわけですが、雑誌にのったときの形を、頭の隅におきながら書いているように思えます。青空文庫など幾つか「読んで」はみましたが、どうも、書類を「読んで」いるような感覚から逃れられず、落ち着かなくて、すぐに疲れてしまいます。もちろん、人それぞれです。若い方々は、より画面で読むことに違和感が少なさそうです。とはいえ、いまでも小学校から、教科書は紙の本だと思うのですが。

そうとう前のことですが、とある機会に編集についてお話をすることがありました。そのとき、「出版社、編集者は、本を出すのをじゃまするのが仕事だ」と言った記憶があります。当時は、取次口座を持っている出版社でなければ、どんな素晴らしい、ひょとしたら画期的な原稿であっても、編集者が理解できず、「こんなんダメ」となれば、「本」にはならなかったわけです。とはいえ、ある水準以上の「本」を読者に提供しているという信頼(幻想?)があったわけです(いまでも、もちろん、ないわけではありません)。この版元の「本」だから、という感じでしょうか(無名の新人だったとしても)。ところが現在は、とりわけ電子書籍(オンデマンド印刷本も)の場合は、極端には誰でも個人で、制作から販売まで可能になりました。「じゃまするもの」がいなくなったわけです。インターネットの世界同様というか、その世界が生まれてこそ、「なんでもあり」となり、「出版社は基本的には不要」となったわけです。

さて、では、「いま出版屋とはなんなのか」、と考える間もなく日々を乗り越えていくのに精一杯の状況です。無事、次代に引き継ぐことができたら、考えてみたいと思います。

石田俊二(出版協理事/三元社

出版ニュース 201212月中旬号より



ふたたび「アマゾン」のこと

前回、水声社の鈴木さんが「アマゾンのe託販売」のことを書かれましたが、その直後、ある業界紙に「アマゾンジャパン、主要仕入先を日販に変更」という記事が流れました。

それによると「9月5日、書籍の主要調達先を大阪屋から日販に変更することを出版社に通知。00年12月の日本参入時から大阪屋を主要調達先にしてきたが、その地位が日販に移ったことになる。変更時期は2012年10月2週目ごろより。その後も大阪屋とは日販に次ぐ調達先として取引を継続する。」と報じている。08年4月に新刊は日販、補充は大阪屋というシステム変更をして以来の全面変更である。メイン取次がある日突然変更になるというニュースは、年取ったわが身にはさながら震度5の衝撃を与えると同時に、なぜそうなったのか、水面下で何が話し合われたのか、大いに気になるところである。


今までの「アマゾン」からの商品補充を、大阪屋では「IBC」が担ってきた分を、日販への移行によって24時間稼働の「日販WEBセンター」が担っていくと言われる。はたして、「IBC」の器用さを「WEBセンター」がスムースに受け継ぐことが可能かどうか、更に、このような物流の一元化が果たして業界にとってプラスとなるのか、一番気になるところだ。

「アマゾン」と取引をしている我々版元も、注文するお客さんも一番気にするのは「商品の調達時間」だ。

「アマゾン」との「e託販売」をせず、取次経由で商品売買している私たちは、今まで大阪屋「IBC」の在庫を把握し、在庫の少ない商品に対してはその都度、大阪屋と調整を図かってきた。「アマゾン」の在庫情報にあわせ、「2~4週間」調達期間を、せめて「5~6日」へ、さらに「17時間」以内に出来ないものかと「調達期間・時間」を気にしながら、大阪屋と取り組んできた。

その、今までのこまめな大阪屋との関係を、今後、日販の誰と結んでいけるのか、問われている。

さらに、物流期間(調達期間)の問題でも、「アマゾン」は全国各地に物流拠点を拡大し、商品調達時間の短縮を図っている。各取次が各地の店売を閉鎖してきた中、「アマゾン」は現在、市川・八千代・堺・川越・川越芳野台・狭山・大阪大東・愛知常滑・鳥栖と物流センターを広げている。その中で「本」を扱っているのは、市川・堺・鳥栖の3ヶ所。この3ヶ所以外にも今後、まだまだ拡大路線は続いていくだろう、日本地図のどの地区に物流拠点を置くかの答えは歴然としている。

ある出版社によると「アマゾン」の売上が、紀伊國屋全店の売上に並ぶか、それ以上との声も聞こえる。ここまで取引金額が肥大化している中、現在流対協でも、現在加盟各社が「アマゾン」との取引をどのように行っているかの状況把握を行っている。さらに「アマゾン・ベンダーセントラル」を「スマートに使いこなしていくには」の勉強会も行っている。

帳合変更等、大きな地殻変動の時は多くの血と涙を流す。その昔「大学生協」帳合がトーハンから日販に替わった時、トーハンの生協担当者の悔し涙を今も鮮烈に思い出す。この反対のことも今まで行われてきた。今後予想されるますます大きな「地殻変動」を「想定外」とするか「内」とするか、問われている。

金岩宏二(出版協理事・営業委員会委員長/現代書館

出版ニュース201210月中旬号より